3.12「まちのお寺の学校」
作って楽しむ和ろうそく
 @陽岳寺


「まちのお寺の学校
」作って楽しむ和ろうそく

@陽岳寺
~櫨(ハゼ)から作る和ろうそく~

http://www.machitera.net/tokyo-koto-yougakuji/
ご参加頂いたみなさま、ありがとうございました。

今回のワークショップの会場は門前仲町の陽岳寺。
この日は本のライターの仲藤さんとテレビ埼玉の湯澤さんが取材にきてくださいました。
副住職の向井さんから頂いた仏門における火のお話。
なかなか聞く事はできないお話。
我々だけにとどめておくだなんて贅沢すぎる。
承諾のもと、全文を転載する。
誰かがきっとどこかで本にしてくれる!なんて妄想が浮かんでしまった。
自分で明かりを作るか、自分が明かりになるか。

以下転載。

陽岳寺副住職 向井です。

Hazeのみなさんのご協力を得て、「まちのお寺の学校 陽岳寺校」にて、和ろうそくのWS『作って楽しむ和ろうそく~櫨(ハゼ)から作る和ろうそく~』が開催されました。

多くの方に参加していただきました。
ご来山ありがとうございました。

仏教では「たとえ話」をよくします。
たとえば、煩悩は草にたとえられます。
煩悩とは妄想や雑念のこと。
「お腹すいたな」「眠いな」といった妄想や雑念は、勝手に頭に浮かんできますよね。
抜いても抜いても生えてくる草は、まるで煩悩です。
かといって抜きすぎて何もない更地は人間らしくありません。
仏教のはじまりは2000年以上昔ですが、当時ろうそくは無かったと思います。
しかし、明かりはありました。 この明かりや火を、仏教そのもの・仏の教えとしてたとえる話が実に多いです。
真っ暗闇にいると動けなくなったり不安になったりしますが、明かりが見えるとホッとしますよね。
仏教そのもの・仏の教えも、転ばぬ先の杖というと変かもしれませんが、自分の将来・未来・ちょっと先・まわりを照らしてくれるものなのです。
・・・そうは言っても「これで見えるでしょう?」と明かりを手渡されたからといって、信用して使えるのか、簡単に使いこなせるかは分かりません。
また、明かりに慣れてしまったり頼りすぎたりすることも、困ったことになりそうです。その明かりが無くなると生きていけない!そんな状況にはなりたくありませんよね。

では、どうすればいいのでしょうか?

その答えは、自分で明かりをつくれるようになるか、明かり自身になることです。
仏の教えに頼るだけではなくて、自身が仏の教えを伝えられるようになること。まわりを照すようになること。
ろうそくは、まわりの空気や自分の身を削りながらでなければ、炎を灯しつづけることはできません。自分の身をけずることは辛いです。しかし、そこに一瞬の輝きが生まれます。ろうそくの長さという炎の寿命があるからこそ、その炎は儚くて、あたたかい。ホッとする、美しい。

私たちは一人では生きていけません。ろうそくが空気や蝋のおかげで燃えていられるように、私たちもみんなのおかげで今こうして生きていられます。自分の身を削るような想いで、日々を過ごしている方もいらっしゃるかもしれません。
その火や明かりは、儚さに裏打ちされたものです。この儚さを無駄にしないためにも。その儚さに力強さ・あたたかさを見つめてみたい。
誰かのため、近しい人のため、自分のため。
少し先やまわりや照らすことを考えてみたい。
火をともして、ちょっとだけ考えてみてはいかがでしょうか。

どうぞご自分と対話する時間を大切になさってください。
気付きをどう活かすか、どう捉えるかはあなた次第です。

今回の集まりに感謝をいたします。

有り難うございました。 

合掌

陽岳寺校情報⇒http://www.machitera.net/tokyo-koto-yougakuji/

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